20年来のファンによる馬龍擁護が中国卓球界のファン層を二分

中国で最も活発なファンフォーラムの一つに投稿された文章が、中国卓球界で決して消えない議論を再び呼び起こした。馬龍のキャリアのうち、どれだけが特権に基づき、どれだけがコーチに選手を選び続けさせるような長寿に基づいているのか、という議論だ。
投稿者は自分を20年以上のファンで、そこそこのアマチュアレベルでプレーする者と紹介し、フォーラムでの馬龍の評判の最近の下落は、馬龍本人よりも、別の選手である王楚欽に向けられた怒りが年上のスターに飛び火したことによるものだと述べている。また、もう一人の主力選手である樊振東が不当に扱われてきたことも、最初に認めている。彼が検討したいのはもっと狭い問いだ。馬龍の台頭は異例の資源の獲得を伴ったのか、それとも代表チームがベテランを若手に置き換える通常のパターンに従ったのか。
論拠は四つの五輪サイクルを軸に組み立てられている。北京サイクルでは、馬龍は早くから結果を出していたからこそ早くから支援を受けた、と投稿者は主張する。2004年に10代で主要タイトルを獲得したのだ。そこから投稿は、馬龍が有望なジュニアから男子チームの中核メンバーへとどう移行し、世代交代が実際にどう機能したかをたどる。要点は、制度が抽象的な意味で公正かどうかではなく、馬龍への初期の後押しがそれを正当化する成績に由来するということだ。
後半は技術論に移る。投稿者は、馬龍のトップレベルでの持続力は単一の固定されたスタイルではなく調整によるものだと主張する。サーブ、フットワーク、フォアハンドの圧力とバックハンドの安定性のバランスの変化が、より速く攻撃的な若い相手が現れる中で彼を競争力のある存在に保った。卓球における長寿とは、ピークを維持することよりも、数年ごとにゲームを再構築することだ、と投稿は示唆する。
タイミングが重要だ。馬龍はこのスポーツの歴史で最も多くのタイトルを獲得した選手の一人であり、長年にわたり中国のファン文化の中でほとんど不可触の存在だった。それほど強固な評判は通常、自然に揺らぐものではない。投稿者の診断は、代表選考や別のスターの扱いに対するファンの不満が、かつてのようにコート上で反論できない年上の選手という都合の良い標的を見つけた、というものだ。
ここがまた、投稿が最も批判にさらされる点でもある。代表チームの選考過程が特定の選手を優遇していると信じるファンは、サイクルごとの再説明では納得しないだろうし、投稿者もそれを承知で、この文章を判定ではなく一人のアマチュアの見解として位置づけている。こうした投稿のコメント欄は、元の議論と同じ線で分かれる傾向がある。制度を見る者と、キャリアを見る者だ。
この投稿が実際に捉えているのは、中国のファンが卓球のヒーローについて語る方法の変化だ。チャンピオンの記録がすべての議論を決着させるという古いモデルは、資源、機会、そして誰がそれを得るかについての、より疑い深い会話に取って代わられつつある。馬龍の四つのサイクルは今、どちらの側が語るにせよ、その議論の証拠となっている。